火災

地震

100年たった今の防災を考えてみる・9月1日 関東大震災

9月1日は「防災の日」として知られ、1923年に発生した関東大震災を忘れないために設けられた日です。関東大震災は、マグニチュード7.9の巨大地震で、多くの命を奪い、広範囲にわたって甚大な被害をもたらしました。この記事では、この災害から100年が経過した今、私たちの防災対策がどのように進化し、また、どのような課題が残っているのかを考えます。過去の教訓を活かし、未来の災害に備えるために、防災の取り組みを見直し続けることは安全安心に生活する上で重要です。
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火災から身を守るために火事の危険性を心得ておく・8月18日 大館大火

1956年8月18日、秋田県大館市で発生した「大館大火」は、台風の影響で強風が吹き荒れる中、旅館から出火し、中心市街地を焼き尽くしました。この悲劇的な火災は、大館市に多くの教訓を残し、その後の防火対策の強化へとつながりました。火災のリスクを減らし、私たちの命と財産を守るために、過去の災害から学び、効果的な防火対策を身につけることが重要です。
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火災、出火原因の1位は「放火」・5月5日 越後長岡享保13年の大火「三蔵火事」

放火による大火 1728年5月5日 越後長岡享保13年の大火「三蔵火事」 この日の夕刻、柳原町の町人三蔵が喧嘩相手の門左衛門の屋敷に放火。炎は激しい西風にあおられて燃え広がり、翌朝ようやく鎮火しました。
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たき火、火の扱いは慎重に・5月2日~3日(嘉永7年4月6日~7日) 嘉永7年の大火「毛虫火事」

梅の木の毛虫による「毛虫火事」 1854年5月2日~3日(嘉永7年4月6日~7日)  嘉永7年の大火「毛虫火事」 京都御所南東の方向に黒煙が立ち上がりました。火元は後院北殿(現在の京都大宮御所の場所)で、梅の木におびただしくついた毛虫を竹の先に藁をつけて焦がしていたところ、飛び火して建物の屋根に火がついたことが原因でした。
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大火と都市計画・4月28日(宝永5年3月8日) 京都・宝永大火

大火による市街地再編 1708年4月28日(宝永5年3月8日) 京都・宝永大火 京都で宝永の大火が発生しました。この火災で、禁裏御所をはじめとする中心部の広範囲に及ぶ14,000棟以上の家屋が焼失しました。
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避難場所と避難所と仮設住宅・4月22日(文化3年3月4日)江戸・文化の大火

幕府の建てた御救小屋(おすくいごや) 1806年4月22日(文化3年3月4日)江戸・文化の大火 文化の大火は、別名車町火事、あるいは丙寅火事ともいわれる江戸三大大火の一つとされています。火災の原因は不明ですが、火災は同日10時頃、芝車町(現在の港区高輪2丁目)の材木座付近で発生しました。
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大火後の復興と地域・4月20日 飯田大火

大火とリンゴ並木 1947年(昭和22年)4月20日 飯田大火 長野県飯田市で飯田大火が発生した。市街地の一角で発生した火災は強風と乾燥した空気により燃え広がり、焼損面積は市街地の4分の3に相当する600,000平方メートルに及ぶ大火となりました。
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戦後最大級の大火・4月17日 鳥取大火

旧市街地の3分の2が被害 1952年(昭和27年)4月17日 鳥取大火 鳥取市内の市営の温泉場付近から出火した火災は、フェーン現象による熱風により瞬く間に市中心部に飛び火し、出火から12時間が経過した翌日4月18日の午前4時、鳥取市を焼き尽くした火はようやく鎮火した。
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火災、出火原因と対策を考える・4月1日 明和の大火

出火の原因 1772年4月1日(明和9年2月29日) 明和の大火 明和9年2月29日(1772年4月1日)、目黒行人坂大円寺から出火し、麻布、芝から日本橋、京橋、神田、本郷、下谷、浅草と下町一円を焼失し、死者は数千人にも及んだといわれています。
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安心、安全な避難・3月21日 函館大火

安全に避難する 1934年(昭和9年)3月21日 函館大火 北海道函館市で「函館大火」と呼ばれる大規模な火災が発生。火災の発端は、函館市の南端にあった家の屋根が強風で飛び、炉の火が巻き上げられ出火したもので、その後、強風の影響も相まって市内22カ所に飛び火し、最終的には焼損家屋10,000棟以上、市内の3分の1を焼失する大火となった。