1855年11月11日(安政2年10月2日)、現在の東京都心を震源とする安政江戸地震が発生しました。マグニチュード7と推定されるこの地震は、山の手や下町で甚大な被害を引き起こし、建物の倒壊や火災、液状化現象が各地で発生しました。江戸時代から今日まで、首都直下型地震のリスクは変わらず存在しています。災害に備えるために、住宅の耐震性や家具の固定といった対策を整え、地域や近隣との協力体制を築くことが重要です。
江戸時代の首都直下地震
1855年11月11日(安政2年10月2日) 安政江戸地震
東京湾北部から現在の江東区辺りの陸域を震源とする安政江戸地震は、規模はマグニチュード7程度と推定されており、被害状況からみて山の手の台地では震度5相当、下町の低地では震度6弱~震度6強相当の揺れであったと考えられています。
都市直下型地震 安政江戸地震
直下型地震である江戸地震では震動・火災・液状化による被害が目立った。直下型地震ではこの他にも地変あるいはライフラインの供給不能による被害も考えねばならない。災害が多様化する中、地震に対する心構で最も重要なことは、基本を守ることであろう。「地震を恐れず侮らず、正しく理解することが大切である。具体的には自宅の耐震性の向上、家具の固定、火を出さない心構えと近所の協力である 。
出典 日本損害保険協会
安政江戸地震は首都だった江戸の町に大きな被害を及ぼしました。今日でも首都直下地震が想定されており、その対応を前もって心得ておくことが必要です。
首都直下地震
首都直下地震とは?
地震列島・日本。”まさか”はきょう・あしたかもしれません。中でも、30年以内に70%と、高い確率で発生が懸念されているのが「首都直下地震」です。首都直下地震とはいったいどんな地震で、どんな被害が想定されているのか。国の想定をもとにした、最悪のケースをご紹介します。
出典 NHK防災
首都直下地震 そのとき何が起こるのか?
首都直下地震等の大規模災害に備えるためには、行政機関のみならず、民間事業者や国民一人ひとりの取組が不可欠です。首都直下地震の被害想定と対策について、関係者の理解を深め、自助・共助の取組を促進するため、訓練・講習等にご活用ください。
出典 政府広報オンライン
まとめにかえて
1855年(安政2年)安政江戸地震の前年、安政元年(1854年)11月4日に安政東海地震、翌5日に安政南海地震があり伊豆から四国までの広範な地域に死者数千名、倒壊家屋3万軒以上という被害をもたらしました。いち早く危険を知らせて津波から村人を救った「稲むらの火」の逸話はこのときのものです。
”天災は忘れた頃にやって来る”と言われていますが、人間が覚えていても忘れていても関係なく災害はやって来ます。江戸幕府は安政東南海地震の復旧をしている翌年に首都での地震に被災しました。立て続けに起こった大地震で幕府は大変だったと想像できます。さらに1853年にはペリーが黒船で浦賀に来航しており、幕府による”公助”に全面的に頼るのは難しかったかもしれません。そうした中では個人の”自助”と地域での”共助”が重要となります。
安政期江戸の連続複合災害 -1854年~1859年-
【トーク要旨】
私たちは連続複合災害の時代を生きています。2011年の東日本大震災以来、2016年熊本地震、2018年西日本豪雨、2019年台風19号さらに新型コロナ・パンデミックと続いてきました。同じようなことは過去になかったのでしょうか。今回の国文研トークでは、1850年代の江戸についてお話しします。江戸は1854年12月28日の大火、1855年11月2日の安政大地震、1856年8月25日の安政東日本台風による高潮と暴風、1858年7月末から9月にかけての安政コレラ大流行、同年11月15日の大火と連続して大きな災害に見舞われていました(月日は旧暦)。こうした連続複合災害によって人々の生活はどうなったのか。これを知ることは現在を生きる私たちにとってどのような意味を持つのか、皆様と一緒に考えてみたいと思います。
出典 国文学研究資料館
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