1891年10月28日に発生した濃尾地震は、国内観測史上最大の内陸直下型地震として記憶されています。岐阜県美濃地方を震源とし、マグニチュード8.0を記録したこの地震では、7,200人以上の命が失われ、14万を超える家屋が全壊しました。当時の被害の深刻さは、後世に伝えるために「震災数え歌」として記録されました。この歌は、地震の恐ろしさを後世に伝えるだけでなく、救援活動への感謝や災害時の対応をも含んでおり、教訓を活かして防災に努めることの重要性を語り継いでいます。
国内観測史上最大の内陸直下型地震
1891年(明治24年)10月28日 濃尾地震
岐阜県美濃地方を震源とするマグニチュード8.0の濃尾地震が発生しました。国内観測史上最大の内陸直下型地震であり、根尾谷断層などが出現しました。
死者は7273人、全壊家屋は140,000棟以上にのぼり、震源周辺では家屋全壊率100%の集落も多数ありました。
震災予防調査会の設置など現在につながる地震観測、救援、調査、減災研究などが組織化される契機となった地震でした。
濃尾地震は地震のエネルギーがマグニチュード8.0で、阪神・淡路大震災がマグニチュード7.2、関東大震災が同じく7.9であり、いかに大規模な地震であったが想像できます。
参照 岐阜県|濃尾地震(明治24年)
”身の終わり”(美濃・尾張)
この悲惨な状況を後世に伝え、ニ度と同じ悲劇を繰り返さないでほしいという思いから、「震災数え歌」が歌い継がれています。
震災数え歌
「一つとせ 人々驚く大地震 美濃や尾張の哀れさは 即死と負傷人数知れず」
この歌で始まる「震災数え歌」が、岐阜県大垣市の「濃尾地震 100 年記念誌」に記録されました。市内在住の方が親から聞いた数え歌を覚えていたのです。
1891 (明治 24 )年10月28日の早朝、岐阜県美濃、愛知県尾張地方を突然、マグニチュード8.0の巨大地震か襲いました。この地震での死者は 7200人を超え、14 万を超える家屋か全壊。
世界でも最大級の内陸直下型地震でした。
10番まで続くこの数え歌では、震災の恐ろしさが生々しく歌い込まれています。後に、”地震にあえは身の終わり”(美濃・尾張)と掛詞になったほどでした。
「ニつとせ 夫婦も親子もあらばこそ あれと言うまいぶきぶきと 一度に我が家が皆倒れ」
「三つとせ 見ても怖ろし土けむり 泣くのも哀れな人々が 助けておくれと呼び立てる」
続いて身近な人を助けようとしている様子も歌われています。
「四つとせ よいよに逃げ出す間もあらず 残りし親子を助けんと もどりて死ぬとは つゆ知らず」
「五つとせ いかい柱に押さえられ 命の危ぶきその人は やぶりて連れ出す人もある」
地震発生が朝の6時半過ぎ。朝食時で火気を使用している家庭も多く、火災により被害はより悲惨なものになりました。
「六つとせ 向ふから火事じゃと騒き出す こなたで親子やつれあいや 倒れし我が家 ふせこまれ」「七つとせ 何といたして助けよと慌てるその間にわが家まで どっと火の手が燃え上がる」「ハつとせ 焼けたに思えどよりつけず 目に見て親子やつれあいや 焼け死ぬその身の悲しさや」
出典 内閣府|災害を語りつぐ
過去の教訓を活かす
この数え歌で伝えたいのは震災の恐ろしさだけではありません。歌の締めくくりには、ボランティアによる救援活動や、日赤などの医療・救護活動への感謝か述べられています。
「九つとせ ここやかしこで炊き出しを いたして難儀な人々を 神より食事を与えられ」「十とせ 所どころへ病院が 出はりて療治は無料なり 哀れな負傷人助け出す」
この歌には、悲惨な状況を後世に伝え、ニ度と同じ悲劇を繰り返さないでほしいという思いが込められています。そして、震災の様子とともに災害時の対応のすべてが七五調で書かれていて、数字のごろ合わせで覚えやすいように作られています。ラジオもテレビもない時代、人々は世の中の出来事を覚えやすい数え歌などにして広く世の中に伝えようとしました。この「震災数え歌」が歌い継がれることにより、私たちの子孫もそこから多くの教訓を読み取り、防災対策に活かすことができるのです。
出典 内閣府|災害を語りつぐ
「震災数え歌」は子孫に教訓を伝えたいとの思いから歌い継がれてきました。そうした教訓や記録を知っておくことは、防災に取り組む心構えを持つ上で有益です。
濃尾地震の教訓
133年前の写真が伝える“濃尾地震の教訓”【災とSeeing㉝】
1891年に起きた濃尾地震では、名古屋市内でも「震度7相当」の揺れで大きな被害が出ました。明治中期のこの地震は「大量に写真記録が残された最初の地震」でもあります。133年前に撮影された写真から見えてきたのは被害の実態、そして現代を生きる私たちへの教訓でした。名古屋大学の西澤泰彦教授とともに考えます。
出典 CBCニュース
災害遺構で地域の防災の知恵を学ぼう!
濃尾地震と根尾谷断層
日本の内陸で発生する地震としては最大級のもの。震源付近では震度7。揺れは広範囲に及ぶ。 根尾谷断層とは、日本で確認できる最古の地震断層。国の特別天然記念物に指定されている。
出典 TEAM防災ジャパン|災害遺構
災害遺構とは?
教訓を未来に伝える災害遺構
災害遺構とは、過去に災害で被害にあった人達が、その災害からの教訓を将来に残したいと意図して残された(保存活動が行われてきた)構築物、自然物、記録、活動、情報等です。例えば、岩手県宮古市では、昭和三陸地震の津波被害の教訓を刻んだ石碑が建てられていますが、この石碑より高い場所に住んでいた人は、東日本大震災の津波による建物被害を受けませんでした。
このように、過去の災害時に残された「災害遺構等」を通じて得られる教訓を次世代に受け継いでいくことは、災害被害を軽減する上で極めて重要です。
本サイトでは各地域に存在している「災害遺構等」の事例や地域での活用の取組、各研究機関が行っている収集・集約の取組をまとめ、それらの優れた活用事例や活用の促進策を掲載しました。
※本コンテンツは、内閣府の依頼により国立大学法人東北大学(災害科学国際研究所)で作成された『「災害遺構」の収集及び活用に関する検討委員会』報告書を元に作成されました。
出典 TEAM防災ジャパン|災害遺構とは
まとめにかえて
この数え歌には悲惨な状況を後世に伝え、ニ度と同じ悲劇を繰り返さないでほしいという思いが込められています。当時の人々は世の中の出来事を覚えやすい数え歌などにして広く世の中に伝えようとしました。過去に災害で被害にあった人達が、その災害からの教訓を将来に残したいと各地に「災害遺構」が残されています。
過去の災害での経験と教訓の積み重ねで、災害が起こる度に復旧と復興を繰り返して今日の社会があるのかもしれません。過去の教訓を知っておくことは、防災に取り組む上で有益なことです。
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