内陸型直下地震
1847年5月8日(弘化4年3月24日) 善光寺地震
長野市の直下を震源とするマグニチュード7.4の善光寺地震が発生しました。長野盆地西縁の活断層による内陸直下型地震とされており、東北地方から近畿地方にかけて揺れの記録があります。
長野盆地(善光寺平)一帯の被害が大きく、家屋倒壊や火災といった直接の被害のほか、地震によって地すべりが発生し土砂が長野盆地に注ぐ犀川を堰き止め、これが地震発生から19日後に決壊して下流が洪水に見舞われるなど二次被害も大きかったといわれています。
また、この年は善光寺の御開帳とも重なったことから、善光寺門前に宿泊していた参拝客も多数犠牲となるなど、死者は10,000人前後に達したとされています。
防災と復興、過去の災害に学ぶ
善光寺地震が発生した際、被災して生き残った人々はどうしたのでしょう。
地震翌朝はおむすびなど緊急食料が近隣から共助で差し入れられました。一週間ほどで仮小屋のような避難所を主として自助で確保しています。この間に、倒壊と火災とを運よく免れた参詣者は、街道沿いの住民の援助を受けながら帰郷していきました。二週間後には犠牲者鎮魂のため供養や遺体収容も行われました。
出典 内閣府防災情報のページ 過去の災害に学ぶ
公助に限度、自助の覚悟と共助の涵養
善光寺地震が発生した時、松代藩、椎谷藩、飯山藩、上田藩の各藩は被災者へ援助した者を表彰するなど共助を奨励しました。公助に限度があったからです。
分業が進み便利な都市に生活する者は、災害時には相当の自助の覚悟と、地縁・血縁ではない共助の涵養が必要となります。
出典 内閣府防災情報のページ 過去の災害に学ぶ
素早い対応ために「自助」「共助」「公助」
素早い対応を行えるようにするためには、自助、公助とともに、共助が重要です。自主防災組織などの地域の住民に加えて、事業所も含めた助け合いの仕組みづくりが重要なのです。
このレッスンでは、災害時の協力体制を育んでいる事業所の方々へのインタビューをご覧いただきながら、事業所と地方公共団体との間の防災協力について学習しましょう。
出典 総務省消防庁|防災・危機管理eカレッジ|事業所と地方公共団体との防災協力
まとめにかえて
善光寺地震は、荒船断層などの逆断層型の地震でした。 発生周期は約1000年に一度と推定されています。参照 地震本部
1000年に一度の地震も明日来るかもしれない地震も備えは一緒です。
当時の人たちは、翌朝には被災した人たちにおむすびなど緊急食料が近隣から共助で差し入れられ、一週間ほどで仮小屋のような避難所を自助で確保し、二週間後には犠牲者鎮魂のため供養や遺体収容も行われています。
公助と自助、共助が機能することで素早い対応と復興の取り組みが可能になるのではないでしょうか。