2000年9月11日、東海地方を襲った記録的な豪雨は、名古屋市で平年の9月の2倍に達する降水量をもたらし、都市機能を麻痺させました。この豪雨を経験して川の決壊による恐怖と避難の難しさ、そして「もし分かっていたら、もっと準備ができたのに」との被災経験からの言葉があります。過去の災害の教訓から、「自らの命は自らで守る」ことの重要性が再認識され、地域全体での防災に向けた取り組みが防災に取り組む上で大事です。
1カ月分の2倍に達する記録的な大雨
2000年(平成12年)9月11日 東海豪雨
日本の南から沖縄方面に向かっていた台風14号に刺激され、本州付近に停滞していた秋雨前線の活動が活発化したことから東海地方で大雨となりました。
特に名古屋市では、11日の日降水量が428mmを観測し、これは平年の9月1カ月分の2倍に達する記録的な大雨となり、名古屋市周辺で河川の氾濫が相次ぎ、都市機能が一時麻痺する事態となりました。
分かっていたならもっと準備をしていたのに
東海豪雨(平成12年9月)
2階に避難して正解
~分かっていたならもっと準備をしていたのに~(清須市 60代 女性)
水は低い方に流れるって本当ですね。川が決壊すると、周りより土地が低い私たちの町へ水が一気に流れ込んできました。けれど、2階までは水が来なかったので、2階で待機していたのは、結果的にバタバタしなかった分だけ良かったかなと思います。あの状況でどこかに避難するっていうのはかえって危険でした。
でも、水が2階への階段を一段ずつのぼるように迫ってくるのは、どこまで水が来るかわからず、「増えてる、まだ増えてる」と、すごく怖い思いをしました。
丸2日間、自衛隊がボートで運んできた菓子パンや家にあったものを食べて、何とかしのぐことができました。自衛隊のパンは、たまたま2階にあったビニールひもを窓から投げ下ろして、結びつけてもらって引き上げました。
こうなることが分かっていたら、多分もっと準備をしていたと思いますが、60年位ここに住んでいる主人が、「伊勢湾台風のときだって、道路にチョコっと水がきたぐらい」と言っていたので、「まさか」って思っていました。
出典 内閣府防災情報のページ|一日前プロジェクト
命を守るメッセージ
この9月で東海豪雨から20年になります。
東海豪雨災害を振り返り、地域とともに水災害に強い都市づくりをめざすために、愛知県、関係市町(県内)、国土交通省で「東海豪雨20年実行委員会」を組織しました。
この災害で得た教訓等を継承し、「自らの命は自らで守る」という意識の重要性を地域で一体になって考えていきます。
出典 国土交通省庄内河川事務所|東海豪雨20年
東海豪雨を振り返る
平成12年9月11日から12日にかけて東海地方を襲った東海豪雨から20年、当時の教訓を風化させることなく新たな水害に備えるため、資料映像とともに、当時、自治体職員として東海豪雨を経験された永田純夫 清須市長 に東海豪雨当時の状況についてお話を伺いました。
出典 国土交通省省内河川事務所|「東海豪雨を振り返る」
東海豪雨以降の防災対策と近年の豪雨災害
(平成12年9月11日から12日にかけて東海地方を襲った東海豪雨から20年、東海豪雨以降進められた防災対策と、全国各地で頻発している豪雨災害について、名古屋地方気象台長 束田進也と国土交通省庄内川河川事務所長 西田将人が、資料写真や庄内川で大規模水害が発生した場合のシミュレーション映像等を交えながら解説します。
出典 国土交通省庄内河川河川事務所|「東海豪雨以降の防災対策と近年の豪雨災害」
庄内川流域市町首長からのメッセージ
平成12年9月11日から12日にかけて東海地方を襲った東海豪雨から20年、当時の教訓を風化させることなく新たな水害に備え、命を次代へとつないでいくため、庄内川流域10市町の首長から地域の皆様へのメッセージをお送りします。
最後に、国土交通省庄内川河川事務所長 西田将人 が、これからの水防災のありかたについて、皆様にメッセージをお送りします。
出典 国土交通省庄内河川事務所|「庄内川流域市町首長からのメッセージ」
まとめにかえて
災害が発生し都市機能が麻痺する事態の中で、「自らの命は自らで守る」為には前もって準備しておくことが必要です。分かっていたならもっと準備できたかもしれませんが、どのような対応が必要になるか前もって分かることは難しい場合があります。過去の事例を知っておくことは、防災に取り組む上で有益と言えます。
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