あした関東大震災があると想像してみる・9月1日 関東大震災

事前
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9月1日は、防災の日として日本中で防災意識を高める日です。1923年に発生した関東大震災から100年が経過し、私たちは自然災害に対する備えについて多くの知識と経験を積み重ねてきました。しかし、100年分の備えがあるからといって安心できるわけではありません。この記事では、100年前の関東大震災を振り返り、現代に生きる私たちがどのように防災意識を高め、未来の災害に備えていくべきかを考察します。

災害を語り継ぐ

1923年9月1日 関東大震災

 日本は地震、津波、洪水なそおの自然災害の多い国です。
ここに生まれ育ったわたしたちは、いつ起きるかわからない災害からできるだけ身を守るようにすることが必要です。
 また、被害を受けたときには、お互い助け合い、励まし合うことも重要です。
出典 内閣府(防災担当)|災害を語り継ぐ

火災から街を守った神田っ子

火災から街を守った神田っ子
決死のバケツリレー

 東京の中心部に位置する千代田区神田地区は、木造家屋が多く道幅か狭い人口密集地域で、江戸時代から幾度となく大火の被害を受けてきました。
1923 (大正12 )年9月1日午前11時58分に発生した関東大地震は、ちょうど昼食の支度時ということもあり、多数の火災が発生しました。そしてその火災は、その後 3 日間にわたって東京の町を襲い続けました。
 神田川に面した神田和泉町と神田佐久間町の一帯は、幸いにも町で発生した火災は消し止めることができましたが、周囲から猛火に包まれた延焼がどんどん広がってきました。
 まず、お年寄りや幼児等を安全な場所へ避難させて残った住民たちは、断じて一歩も退かない決意をもって自衛防火活動に取り組みました。

 地震によって水道は断水していました。そこで、百数十名の住民が団結して、町中のバケツをはじめ鍋釜まで持ち寄り、神田川の水はもとより風呂屋や豆腐屋の水まで利用して手送りのバケツリレーを行い、迫り来る猛火に対して水を灌いで防火活動に努めたのです。
 神田佐久間町の一帯は、四方のうち南は神田川に面し、北東は不燃建造物があるという立地条件や、さらには風向きの影響もあり、奇跡的に一戸の家も焼失することなく約 1 6 3 0 戸の家を延焼から守ることができました。
 延べ三十数時間にわたる不眠不休の防火活動か続き、疲れて路上に倒れ込む人まで出ましたが、住民たちは自主的に力を合わせて懸命に防火活動に身を投じました。

出典 内閣府(防災担当)|災害を語り継ぐ

地震による断水のため住民はバケツリレーでで防火活動に努めました。当時の人たちの災害への対応を学び、今日に役立てることは防災に取り組む上で有益です。

関東大震災について まなぼう

100年前に関東で大震災があった?!

出典 東京管区気象台

9月1日は、「防災の日」です。その9月1日に、何があったか知っていますか?
いまからちょうど100年前の1923年(大正12年)9月1日、大おおきな地震がありました。

出典 東京管区気象台

関東大震災(かんとうだいしんさい)ってなんだろう?

東京管区気象台

関東大震災100年特設サイト

まとめにかえて

1923年(大正12年)に発生した関東大震災から100年が経過し、年号は大正、昭和、平成、令和と変わりました。
100年前に比べて災害についての情報や防災の知識も入手しやすくなりましたが、それで対策が万全だとは言うのは難しいようです。あした関東大震災があったとして、100年前に比べて今は100年分備えていたとしてもそれで十分ではないようです。
宇宙から地球を見ることができ、一瞬で世界の出来事を知ることができても、自分の身を守るには自分の地域のハザードマップを見て、地域の状況を知っておくことが大事です。

関東大震災 当時の地図に記されていたことは?

1923年9月1日に発生した関東大震災。残されているのは写真や映像だけではありません。実は国がこれまで大事に保管してきた当時の地図があります。
地震発生直後、調査員が被災地を駆け回って書き記した被害の状況。どこに被害が集中し、どこは被害が少なかったのか。いまも同じ場所で生きる私たちに必要な対策は何かを教えてくれました。
2023年9月 関東大震災100年関連番組で紹介
出典 NHK|災害列島 命を守る情報サイト

出典 NHK|災害列島 命を守る情報サイト
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